【陰翳礼賛】

北海道の節電計画に絡めて、陰翳礼賛(谷崎潤一郎作) のことが書かれていた。

暗がりの美と生活の用

明かりだけでなく、いろいろな場面であてはまる。

陰翳礼讃 谷崎潤一郎

今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、 電気や瓦斯ガスや水道等の取附け方に苦心を払い、 何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす 風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、 待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろ う。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、 辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、 いやしくも相当の家族を擁して都会に住居する以上、 いくら日本風にするからと云って、 近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない 。。。

普請道楽と言い切れる人、周りになかなかいない。

毎日新聞 余録 2018.9.12》

 

【新しい価値観】

雨ニモマケズ

約120年前、大津波地震、冷害が続いた岩手県

2011年に起きた東日本大震災

宮沢賢治の作った詩は、 駆け付けた多くのボランティアの心に触れた。

教師であった賢治。修学旅行で北海道を訪ねていたようである。

折しも、旅行会社に勤めている息子は今週、北海道修学旅行・ 高校生150名の添乗をする予定だった。

地震の翌日には、校長の判断で中止となった。

安全を考えれば、適切な対応である。

しかし、 日頃から災害時に対する実践トレーニングが行われていれば、 違った判断をされたかもしれない。

今年7月に2週間続いた尾道の断水時には、 尾道高校ラグビー部の生徒が、練習を中止し運搬、 声かけの給水ボランティアを行なっていた。

練習では得られない地域実践となったのではないかと思う。

東日本大震災のあと、学校主催のボランティア旅行も増えた。

災害後のタイミングもあるが、 北海道へのボランティア修学旅行も増えてほしい。

災害復旧時、若者は元気を運ぶ。

毎日新聞 余禄 2018.9.9》

【地名からの推察】

神話や伝承が今に伝えている。

アイヌの人々が経験した自然の災害。

地震〜シリ シ モイエ(地が自らを動かす)

豊平〜トイ・ビラ(崩れた・崖)

美留和山〜ペルケ・ヌプリ(裂けた・山)

土地の言い伝えが目覚める。

広島でも、九州でも、北海道でも。

毎日新聞 余禄 2018.9.7》

【すすき〜鰯へ】

今朝、いつもの竹林にすすきが金色に輝きながら揺れていた。 盆を過ぎ、少しずつ秋めいてくる。

しばらく眺めていると、なぜか鰯を食べたくなった。 夕方スーパーに寄り購入。焼いてみた。

イメージには、行動に移させる力がある。美味い。

すすきから今日は秋刀魚ではなく鰯。

しかし、鰯は秋の季語なのだろうか。

調べてみると鰯の季語は三秋。
「三秋は秋季の3か月。初秋・仲秋・晩秋。陰暦の7・8・9月」

あっていた。昔の人と同じイメージだった。

すすきを見たら鰯を連想して良いのだ。ほっ

【人なり】

終戦記念日の翌日、白洲次郎の人なりが記されていた。

良識、知識、判断、行動、地頭、自由、、

当時からすれば、表現にエッジがきいていたであろうが、 優れたバランス、タイミングを感じる。

自身の居心地の良いスタンスを常に維持している。

イメージできたとしても凡夫にはできない。

「ばか野郎!」には愛がある。

日経新聞 春秋2018.8.16》

【不思議な愛用品】

何種類かある爪切りで、どういうわけか馴染むのが、つたや旅館の記念品。
どこにでもあるものだが、必ず探してこれを使う。

文京区本郷にあった旅館つたやは、都心らしくなく、地方によくある駅前旅館と錯覚しそうな佇まいで、20-25年前くらいに宴会や研究会で"昭和空間"を好んで使わせていただいていた。

検索してみると、戦後の1947年(昭和22年)に下宿屋から創業という。2011年に「東日本大震災の影響で修学旅行生や観光客の激減の直撃を受け閉店」とある。2012年に解体されマンションに。 震災の影響もあっただろうが、いずれにしても時代の流れであろう。 

最後に訪ねたのは15年くらい前、まちづくりメンバーでの懇親会だったように思う。 東京にあるクラッシックな設えに皆さん驚かれていたのが記憶にある。 

爪切りはおそらくその時に女将さんにいただいた。
あれから爪切りをする度に、つたや旅館へまた訪ねてみたいと思うばかりだった。

桐の葉の紋が入った不思議な愛用品。