錯覚

新年度、というわけではないが今月から若手設計者にサイン計画のノウハウを伝える時間を設けている

タイミング、期間共に大学の前期授業のようである

頭の中にあるシラバス、かつて自分がN工芸社、S社から基本を学び(盗み?)、実践で経験してきたことを体系的に進める

このパターン、社会福祉特論を受け持った時と似ている

座学、仮説、フィールドワークの15コマ

違うのは8コマで終了後、即実践

その時はサイン計画を指示できる設計者になっていること プロフェッショナルである

自分自身の若い頃を思い出す

一瞬昔学んだ部屋と錯覚する

もし中止にするのであれば連休明けが最後の最後だろうか

日本青年館で用件があり 帰りに隣のオリンピックミュージアムの横を歩く

コロナ禍の影響か 天候のせいか 閑散

あと3ヶ月後とは思えない佇まい

全く盛り上がっていない都内

本当に開催されるのだろうか

自転車ロードレースのボランティアに参加する予定だが

新年度になって連絡なし

第4波になりつつある感染状況

ギリギリまでどうなるかわからない

もし中止にするのであれば連休明けが最後の最後だろうか

テニスの大坂さん 水泳の池江さん ゴルフの松山さん、、、 

歴史的な感動が続いているのだが

ガチンコ

バウハウススクールから20年が経つ

この会は後にも先にもない

もはや伝説

ガチンコ 格闘技だった

久しぶりに講義録を読んでみると

40そこそこでは見えなかったものが

スーッと入ってくる

懐かしむ感覚ではなく 初めて出会った感じだ

深夜まで続いた談義

先生方の熱量は強烈だった

当時、石山先生57、安藤先生59、磯崎先生、、、怪物

願わくばもう一度リアルで対峙してみたい

 

 

顔は宇宙だ

暮らしの中で いろいろな顔がある

仕事でも いくつもの顔がある

コミュニティで調和がとれれば

それが自分の顔である

いろいろな顔を楽しめばいいのではなかろうか

人生の味わいが増すように思う

もちろん 一つの顔で生ききることは素晴らしい

それにはずば抜けた能力がいる

孤高になることもある

いちばん馬鹿げているのは あっちではこうだ こっちではこうだと思うこと

そして 過去に生きること

もったいない 楽しさの芽を摘んでいる

ぶれることなく こだわりを持ちすぎず

顔は可能性 顔は宇宙だ

気持ちのあり方だけ


個人で使っている6つの発信ツール

しばらく距離を置いているものもあるが

どちらも6-10年続いている

承認願望もなく、自分のために記している

内容は、以前と違って日常の気づきや家族の様子が多くなり申し訳ないような、むずがゆいような

もう閉じてもいいのだが、書くことも生活の一部になっていることもあり

勝手ながら承認いただいてきた範囲を小さくし、マイルールで続けさせていただいている

きっかけは、突然思い出したダンバー指数

人が安定的な社会関係を維持できるとされる認知的な上限が150人と言われている

自分の戯言は、いくらなんでも1000人以上の人に届けるようなものではなく、心地が悪くなりだした

一昨年あたりから、少しずつ縮小させてもらい200-400のつながりへ

とは言えこれまでの関係は変わらないのだが

また、ある時期から居場所もタグ付けもせずに不親切な投稿をしている

不思議なことにそれだけでとても気が楽になってきた

自分の気持ちのあり方だけなのだが。。。

 

祈りなさい 祈りなさい

かれこれ15年くらい前に

青森の教会設計の相談を受けた

歓迎していただく中、神父さんが教会のありかた、行事、設、動線をトップスピードで教えてくださった

懇切丁寧に、あたかも新たな信者へ話すかのように

そして、「洗礼はわかりますか?」

「?」

「すみません、私、仏教なのですが、このまま進んでいっても大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫ですよー」と

ニコニコうなづかれるばかりで、話が噛み合わず、、、何度も何度も繰り返す

ひょうきん族の横澤P神父のようにも思えた)

そして、地元の建設会社へどこまで、どのように図面指示を出したのか、ほとんど覚えてないが、

あの不思議なやりとりだけは忘れない

たまたま、ラジオから聞こえてきた厳格なバプテストの話に、当時を思い出しながら緊張する

祈りなさい、祈りなさい

仲間を案じる

在宅ワークが始まって1か月余が経過した

パソコンが続く中、散歩、花、夜空を繰り返し頭の中をサイドチェンジする

移動がないのは、いわば地域の定点観測

ここ数年のライフスタイルが、深まっていくようである

さて、にわかに経済活動の再開、withコロナ、afterコロナの話が多くなる

家族の会話でもリーマン後の話が出てくる

いろいろな計画案件がダメになっていった

本当にしんどかったこと、家族は感じていない

ある時から仕事の話はしなくなった

家の中はそれでよかったのだと思う

しかし、あの頃と同じままだったら、今どうなっているだろうか

コロナ禍は静かな大嵐

じっとしていても、小さな変化を繰り返すことで、心は安定する

直面している仲間のことを案じる