脚下照顧(きゃっかしょうこ)

新年度を迎えると、進学、就職や転職などに伴って、今までとは違った環境で生活を始める方が多いことでしょう。新しい環境では、初めてのことや慣れない仕事に戸惑うことがあったり、思ったような結果がでなかったりと、うまくいかないことで物事を後ろ向きに考えてしまうことがあるかもしれません。

近年、若者の早期離職率の高さが問題視されていています。その要因には働く目的が定まらず、働くことへの意欲が見出せないことが挙げられています。目的をもって立ち向かわなければ、モチベーションも上がらず、つまらない・できない・やりたくない・面白くないといった感情にながされてその場から逃げるという選択をしてしまいます。

では、皆さまにとって、働くことの目的はいったいなんでしょうか。

「働く」の語源は「端はたを楽にする」ということからきていると言われております。端とは、自分以外の周りの人を指します。仏教において、私たちは縁によってたくさんの人(端)との出会いがあり、生かされていると考えられています。つまり、端の支えにより自分が存在していることを知っていれば、自然と人との関わりを大切にする意識が生まれるはずです。

端を楽にするとは、端を幸せにすると解釈できます。私たちは、仕事をする目的をどうしても自分の利益に重きを置いて考えがちですが、『自分は他人をも幸せにするために仕事をしている』と考えると、行動の仕方に変化がでて、単純な理由で投げ出すことが減るのではないでしょうか。そして、その行動のよき結果はやがて自分に返ってくることでしょう。

今月のお題「脚下照顧きゃっかしょうこ」は、総本山の玄関先と食座じきざ(食堂)の入口に掲げられた言葉です。脚下(自分の足元)をみて履物を揃えだすと、横に並んでいる他人の履物にも目がいき、同じく整えようという意識が生まれることから、自分を顧みて精進すれば人のことも支えられるようになるという意味があります。

うまくいかないときこそ今一度自分の行いを見直し、自分の支えとなっている人たちのことを考えることで、仕事の目的をみいだすことができ、意欲をもって臨めるのではないでしょうか。

合掌

遊行寺(内近司:常盤慈人)

遊行寺ホームページより